ネットビジネス

破滅の道を歩むマーケッターたち

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こんにちは、新田です。



2026年になりましたね。

今日は、今年のテーマに関わる

ちょっと刺激の強い話をします。



〝破滅の道を歩むマーケッターたち〟



この言葉は、

決して誰かを断罪したい話ではありません。



むしろ、

〝かつての僕自身に向けた警鐘〟

でもあります。



僕は、ずっと前から

〝志業錬心(しぎょうれんしん)〟

という生き方を大事にしてきました。


事業を通して、心を錬る。


成果を出しながら、人としての器を育てる。

売り上げは、もちろん大事です。


でも、〝第一〟には置いていない。

なぜか。



それは、

売り上げを第一に置いた瞬間から、

人は静かに〝壊れ始める〟のを、

これまで何度も見てきたからです。



事業を大きくする。

影響力を持つ。

数字を伸ばす。



それ自体は、素晴らしい。



けれど、

事業の拡大と同時に

〝器〟を育てていかなければ、

必ず反動が来る。

これは、例外なく、です。


「器作り」に、終わりはありません。



むしろ、

〝もう完成〟と思ったところから、

静かな崩壊が始まります。



実際、

そういった人は非常に多い。



最初は、志を持って始めた人も、

ビジネスをやっていると、

次第にこう言うようになります。

「社員を食わせていかないといけないから」

「事業を存続させることにこそ美徳がある」

「キレイゴト言ったって、影響力をつけなければ

 世の中は変えられないでしょ」



そうした〝大義名分〟のもと、

表向きには、

「もっと成長していきたい」

「みんなのために」

「志を大事にしている」

と言いつつ、


内なる炎は、少しずつ消えていく。



そして、そんな人は、

会社が十分大きくなって、

「頂(いただき)」が見えてきた頃、

あるいは、年齢を重ねて、

人生の終わりが見えてきた頃に、

とたんに

〝説明のつかない絶望〟

に襲われます。



このパターンが、異様なほど多い。

これは一体、どうしてなのか?

どうすれば、このループから抜け出せるのか?

僕が長年、研究し続けてきたテーマでした。



マーケッターと経営者は、

本来は少し役割が違います。

ですが、今は多くの経営者が

〝マーケッター的〟になり、

数字を最優先にするようになっています。



そして、

マーケッター的思考を強めた人は、

次第に

〝気分の上下が激しい状態〟

を帯びていきます。

いわゆる

〝躁鬱(そううつ)気質〟

というやつです。


ここで大事なのは、

〝躁鬱〟的な波と、

単なる〝鬱〟状態は、

構造としてまったく別だということです。

(※ここでは医学的診断ではなく、

 気分エネルギーの構造として話しています)



〝躁〟の時。

この時、人はエネルギーに満ちています。

アイデアが湧き、言葉が走り、

バリバリ仕事ができる。

周囲から見れば、

〝メンタルがとんでもなく強い人〟

に映るでしょう。

けれど、

ときおり〝落ちる時期〟が来る。

その瞬間、

まるでナイアガラの滝のごとく、

メンタルは一気に崩壊し

谷底まで落ちていく。

強烈な孤独感と

言葉にできない虚しさ。


そこで、彼らは考える。



〝どうすれば、この「鬱」の期間を

 限りなく短くできるのか?〟



そのために学び、

技術、ノウハウを必死に磨いていくのです。



そこで使われるのが

「ドーパミン」という報酬系(脳内麻薬)。


刺激。

興奮。

高揚。

これを餌にして、

モチベーションを動かす。



ビジネスで売り上げを伸ばすこと自体が、

強烈な〝刺激〟になります。



フォロワーが増える。

再生数が伸びる。

賞賛の言葉が集まる。



それら全てが、

〝栄養〟になります。


自己重要感という名の、

甘美な栄養。



やがて、

「皆を守るために」

「世のため人のため」

「もっと成長し、頑張っていきます!」

と志のような言葉が

自然と口から出てくるようになります。

(それも、志の1つの段階ではありますが。)



でも、それによって欲しているのは、

「ドーパミン」という〝餌〟

であることが多い。

当然、ドーパミンでハイな状態を作れば、

ビジネスは加速しますが、

その分、より深く落ちることになります。



つまり、気分のアップダウンが

どんどん激しくなるのです。



これは、「幸せの借金(前借り)」をしているようなもの。



走り続けて、

会社を大きくし、

売り上げを伸ばし、

多くの人から賞賛を集め、

その最中は

「楽しい」

「幸せ」

って思うかもしれない。



だけど、

ひとたび、その賞賛が、

〝批判〟に転じた時、

ビジネスが急に傾き始めた時、

大事な人に裏切られた時、

その瞬間、

メンタルは、極端に落ちる。



消えるのは、信頼だけではありません。



同時に、

〝自分が何者だったのか〟

という感覚までも、音を立てて崩れていく。



そして、それまで大切にしてきたご縁を

突然全て断ち切るような行動を取ってしまう。



仁も、義も失い、

〝良い人〟という仮面が剥がれ、

防衛のための

冷たい顔が前面に出てくる。



多くの場合、

そういう人は、

僕のところには来なくなります。



本音に触れられるのが分かっているから。



自分に嘘をついて生きていることに

気づいてしまうのが怖いから。



その先に「本音」があることをうっすらと分かりつつ、

向き合うことを避け続けてしまうのです。



なぜ、こんなことが起こるのか。

理由は、実にシンプルです。



その人のエネルギーの源泉が、

最初から最後まで、

〝外側〟に置かれているからです。



数字。

評価。

賞賛。

承認。



特に、

「素晴らしい人だ」

「あなたのおかげで」

という他者評価。



それらがあるうちは、なんとか立っていられる。

走り続けられる。



けれど、それらが揺らいだ瞬間、

心を支える柱が、一本も残っていない。



だから、燃え尽きてしまう。



たとえ今、

何も起きていなくとも、

〝いつか失うかもしれない〟

という恐怖が、

常に心の奥にある。



だから、止まるのが怖い。

向き合うのが怖い。

走り続けるしかない。



・・・どうでしょう?

思い当たる節は、ありませんか?

どの分野でもそうですが、

「一流の人間」というのは、

全ての物事には「季節」があるということを

身体で知っています。



植物が、

芽を出し、

花を咲かせ、

やがて枯れるように。

けれど、

〝枯れる時期〟を恐れると、

執着が生まれます。



やがて、

〝死〟そのものが怖くなる。

だから、経営者にとって

最後に問われるのは、

〝死生観〟です。



死とは何なのか?

生と死の循環とは何なのか?



それらを考えることを放棄して、

「死んだら、全て無になる。」

で終わらせてしまうのは、

一見すると、

とても合理的で、

とても大人びた考え方に見えます。



けれど、

この思想が行き着く先は、

驚くほど脆い。

 

なぜなら、

〝死を直視していないから〟

です。

 

死生観を育むためのバイブルとして

経営者に人気の〝葉隠〟という書物には、

〝武士道とは死ぬことと見つけたり〟

という一節がありますが、

 

これは決して、

「命を粗末にしろ」

みたいな話ではありません。

 

むしろ逆。

 

〝いつ失ってもおかしくないものとして

 今を生きよ〟

 

という、

極めて冷静で、

極めて覚悟のある視座です。

 

死を見据えて生きる人は、

外側の評価に依存しなくなります。

 

なぜなら、

〝どうせ、すべては失われる〟

という大前提に、

すでに立っているからです。

 

会社も、

地位も、

名声も、

数字も、

人間関係さえも。

 

それらは、

預かりものに過ぎない。

 

だからこそ、

一喜一憂しない。

慢心しない。

裏切りが起きても、

自我が崩壊しない。

一方で、

〝死を見ないまま成功した人〟

は、

成功そのものに、

魂を賭けてしまいます。

 

その結果、

 

失う=自分が消える

という構造が、

無意識に出来上がる。

 

だから、

枯れる時期を受け入れられない。

下り坂を

〝失敗〟や〝否定〟としてしか

捉えられない。

 

これはつまり、

〝人生を、壮大な物語として捉えられていない〟

ということです。

 

死生観を育てる教材は、

葉隠だけではありません。

 

「スピリチュアル」も、

本来はその1つです。

 

今は、自己啓発的なスピリチュアルが流行って、

現実がうまくいかないことの〝言い訳〟や、

〝現実逃避〟に使われがちですが、

本来のスピリチュアルとは、

〝意識の耐久力を育てる学問〟

です。

 

これを「錬金術(アルケミー)」とも呼びます。

 

錬金術は、フィクションの話ではなく、

「自分という存在が、

 肉体や役割や数字だけではない」

という感覚を、

〝腑に落とす〟ための学び。

魂があるかないか。

神がいるかいないか。

あの世があるかないか。

そんな話は、

正直、どうでもいい。

 

一生証明できないことを

議論する意味はありません。

 

大事なのは、

〝失っても、立っていられるか〟

というその一点のみ。

 

死生観を持たない経営者は、

常に、

〝失う恐怖〟

に追われています。

 

だから、

刺激を求め、

ドーパミンに依存し、

「躁」を〝演出〟し続ける。

「俺はメンタル最強なんだ」

と自分に言い聞かせながら。

 

そして、

限界が来た時、

一気に崩れる。

 

経営者は「死生観」と同時に、

〝バイオリズム〟

を理解する知性も必要です。

 

これが、先ほど話した「季節」のことで、

「陰陽五行論」や「易経」が教えているのが、

まさにそう。

 

上がれば、下がる。

満ちれば、欠ける。

生まれれば、枯れる。

 

これは、

避けられない自然法則。

ここに抗うから、

人は壊れる。

 

ここに身を委ねられるから、

人は強くなる。

 

「志業錬心」とは、

事業を通して、

この循環に〝耐えられる心〟を

育てることです。

 

上手くいっている時ほど、

死を忘れない。

 

賞賛されている時ほど、

自我を肥大させない。

 

枯れる時期が来たら、

それを〝失敗〟ではなく

〝次の季節への準備〟

として受け取る。

 

経営者にとって、

本当に必要なのは、

〝もっと売る技術〟

ではありません。

 

〝失っても、崩れない軸〟

です。

 

僕がStory Writingで教えているのも、

まったく同じ。

 

「売れるための物語」

ではなく、

「揺るぎない核を作るための物語」

なのです。

 

それを持たない成功は、

必ず、未来の破滅とセットでやってくる。

「志業錬心」という生き方は、

決して、数字を否定しないし、

成果からも逃げない。

 

でも、

それ以上に、

心の深さを育てることが求められる。

刺激ではなく、

静かな熱。

 

賞賛ではなく、

内側の確信。

 

それがないまま走り続けると、

どこかで必ず、

魂が悲鳴を上げます。

成果は、光です。

 

でも、光だけを追えば、

影に呑まれる。

だから僕は、

光の量と同じだけ、

影を抱ける器を育てたい。

そう思っています。

 

枯れる季節は、終わりじゃない。

次の芽吹きのための、沈黙なのです。

 

というわけで、最後になりましたが、

あけましておめでとうございます。

 

今年もよろしくお願いします。