こんにちは、新田祐士です。
前回の記事、かなり反響が大きく、
コメントも沢山頂きました。
前回の記事はこちらです(コメントも見れます)。
エネルギーを上げる食事
ところで、コメントを読んでいると、
こんな質問がありました。
> 新田さん、こんばんわ
> 記事を拝見しました!
> 今回もおもしろい世界の切り取り方を勉強させて
> いただきました。
>
> エネルギーレベルというのは全てのものに共通して適応
> できるのがいいところですね!
>
> ただ、エネルギー保存の法則というものがあります。
> (もちろんご存知なのは分かっていますが)
>
> ということは、
> だれかがエネルギーレベルを上げていくと
> 誰かのエネルギーが下がってしまうのでは?
> という疑問も浮かんできました。
今日はこれに関して、回答したいと思います。
まず、この世の全ての物質は「エネルギー」と等価です。
それはアインシュタインの式E=mc^2が示しています。
Eはエネルギー、mは質量、cは光速であり、
光速は一定(相対性理論より)なので、定数です。
なのでこれは単位を変えてるだけのものなので、
E(エネルギー)=m(質量)
となるわけです。
また、素粒子論によれば、
「場」や「力」なども、エネルギーになります。
力とは何かと言うと、
素粒子(ゲージ粒子)のキャッチボールです。
例えば、力を伝えるとは、
少年2人が野球ボールを投げ合っているようなイメージです。
ボールを投げ合う事で、お互いに情報を伝え、
そこに「力」を発生させます。
更に、量子重力理論(ひも理論など)では、
「重力」すらもエネルギーと等価になり、
全ての物質や力、空間、時間が統一されるのです。
因みに、熱力学(これだけ物理の中では少し特殊な分野ですが)では
情報とエネルギーも繋がったりします。
ところで、僕らが普段使っているエネルギーは、
ほとんどが元をたどれば太陽光です。
太陽の光は、地球に降り注ぎ、
海の水が太陽光のエネルギーを得て、
熱エネルギーとなり、温度を上昇させ、
更に蒸発すると雲になります(位置エネルギーになります)。
位置エネルギーとは、E=mghで、
重力(mg)に対してh(高さ)を持つ事によるエネルギー(ポテンシャルエネルギー)です。
その位置エネルギーは、雨となり、
つまり「位置エネルギー」は「運動エネルギー」に変わります。
(運動エネルギーとは、質量と速度で決まるエネルギーです。)
水の運動エネルギーは、例えば水力発電をしたら、
電気エネルギーに変わって蓄電されます。
一方で、植物は太陽光や、水を吸収して、
化学エネルギーを作ります。
(セルロースとかですね。)
それが地下深くで長い年月が経てば
化石燃料(石炭、石油)になるし、
一方で、植物は動物に食べられる事で
動物のエネルギーになります。
シマウマは草しか食べてないのに肉がちゃんとあるという事は、
「植物」と「肉」は抽象度を上げれば(それも割と低い抽象度で)等価だという事です。
その肉、水、あるいは植物を人間は食べてATPを取り込んでいます。
また、燃料を使い、電気を使っています。
このように、僕らが使うエネルギーはほとんど、
太陽が降り注いでくれてたエネルギーが
形を変えて辿り着いたという事です。
その太陽も、かつては遠く離れた星から来た物質が集まってできたものです。
ヨガマスター(笑)が仰っていた
「この世の全ての物は循環している」
という言葉の通りですね。
(本人は似非なんですけどなんとなく引用してみました)
さて、今回の質問に戻りますが、
「誰かがエネルギーを上げたら、
その分、誰かのエネルギーが下がっているという事でしょうか?」
という事ですが、これは答えを言うとNoです。
(もちろん結果的にそうなる場合もありますが、本質は違います。)
まず、前回書いた、
「エネルギーレベルを上げる」
は大きく分けて2つの意味があります。
1つ目は、
「体の中にあるエネルギーの絶対量を増やす」
という事です。
ようするに「食」によって、
ATPを取り込むという事です。
しかし、もう1つ意味があって、それは、
「自分が持っているエネルギーを使う効率(エネルギー効率)を上げる」
という事です。
例えば、
パワースポットに行ったら、エネルギーレベルが上がる。
これは、元気玉みたいな感じで何らかのエネルギーを本当に受け取っている
・・・というわけではありません。
いや、もしかしたら受け取っているのかもしれませんが、
そういったオカルト的な事を言い出すとキリがないので
今は考えないようにしましょう。
そうではなく、パワースポットはどっちかというと触媒的な役割なのだと思います。
つまり、自分の体の中にあるエネルギーを引き出す役割です。
(「パワーストーン」とかもそうです。)
これは前回話したコミュニティについても同じで、
「コミュニティのエネルギーレベルを上げる」
とは、
「そのコミュニティに参加している人間が
エネルギーを高いレベルで引き出す事ができる(情報)空間を作る」
という事です。
ところで、エネルギーレベルの高いコミュニティを作る上で重要な事は
何だと思いますか?
「エネルギーの高い人を集める」
これは確かにその通りなのですが、
それだけをしていたら良いわけではありません。
物理における「場の理論」では、
場の力は、物質によって受けたり受けなかったりします。
例えば、磁石のまわりには「磁場」と呼ばれる場ができ、
近くに釘を置けば、磁石に引っ張られてくっつきます。
これは、釘が「磁場」によって力を受けたからです。
しかし、磁石のまわりに木の葉を置いても、くっつきません。
(たとえ釘よりも軽かったとしてもです。)
これは、磁場は木の葉に場の力を与えないからです。
一方で、木の葉は木から地面に落ちます。
これは、地球が作った場(=重力場)によって、
下向きの力を受けているからです。
このように、場によって、
作用するものと、しないものがあります。
高級レストランでマックチキンが出てきたら美味しいと感じるでしょうか?
感じる人もいるかもしれませんが、普通は感じるのは「違和感」の方で、
むしろ「場」の雰囲気を壊してしまう可能性の方が高いです。
エネルギーレベルが高いからと言って
その場にあるものは何でも高いとは限らないし、
エネルギーの高いもの(人)を寄せ集めたら良いというわけでもありません。
ちょうど昨日、
猿の惑星ー新世紀ーという映画を見たのですが、
この映画では主に2匹の猿に焦点を当てた物語でした。
第1作の主人公であるシーザーと、コバという猿です。
ネタバレになるといけないのでCMを見て分かる程度の情報に留めますが、
シーザーは幼い時に人間に愛情を受けて育ったのに対し、
コバは人間に対して憎しみしか持っておらず、
ずっとその事でシーザーに対して意見(「人間を滅ぼそう」)を言い続けていました。
しかし、シーザーはそれに応えず、
「人間はいいやつだ」
と必死にコバを説得しようとしたり、力で抑え込んでいました。
するとある日、コバはある行動に出ました。
・・・という物語です(続きは映画で!)。
シーザーは頭の良い猿だったし、
仲間思いで、かつ人間との共存も考えていた、
非常にエネルギーレベルの高いリーダーでした。
彼のミスを1つ挙げるなら、
自分の理想の世界とは真逆のベクトルを持っていたコバを
組織のNo.2にしてしまった事です。
僕は今まで多くの会社を見てきましたが、
組織が崩壊する原因を作るのは、意外と、たった1人だったりします。
そしてその1人は、能力はあるけど、
リーダーの理念に共感していないケースがほとんどです。
その人は、自分が能力が高いが故に、
リーダーの粗が沢山見えてしまい、
なんとか組織を「(自分が思う)本当の理想」に変えようと
必死に努力します。
その人が努力すればするほど、
リーダーの理想からはズレてしまいます。
そこでリーダーはそれを抑え込み、しかし能力があるので、
リーダーのコントロール下に置きつつも
組織を管理する側の人間にしようとします。
そして組織が傾きはじめて軌道修正が困難な状態になって
はじめてリーダーはマズい事に気付き、
折角能力の高かった人間を組織から外さなくてはならなくなるのです。
最終的に組織はめちゃめちゃになり、
それが大きな組織であれば、世界に大きなダメージを与えます。
そんな”歴史上よくある典型”を映画を通して見せてくれているので
組織を作っている人は是非見てほしい映画でもあります。
僕はいつも、
「コミュニティを生命体として見る抽象度が必要」
と言っているのですが、
能力が高いけど自分の理想世界にコミットしていない人をコミュニティに入れるのは、
自分の右手に好き勝手動く化け物を手にくっつけてるようなものです。
(こっちも映画化おめでとう!w)
自分の制御下にいるうちは便利ですが、
もしそれが「自分とは真逆のベクトルを持っている」なら、
大変な事です。
「じゃあ排除すればいい」
とかそういった事を言っているのではありません。
大事なのは、支配するのではなく、
弁証法的に止揚させ、お互いの目指す方向がぶつからない、
そんな理想の世界を再定義するという事です。
抽象度を上げる時は、
「どの軸に沿って上げるか?」
が重要です。
そうやって色んな人と弁証法を繰り返して辿り着いた理想の世界こそ、
最高のエネルギーを持ち、
コミュニティのメンバー全員のエネルギーを高める空間を作ります。
進化生物学によると、生命の究極の目的は、
「自分の遺伝子を残す事」
です。
生命の目的は「種の保存」でも無ければ、
「自分という個体を残す事」でもありません。
種の保存ももちろん考えますが、それは、
「種が保存されないと、自分の遺伝子が残らないから」
であり、自分が生き残ろうとするのは、
遺伝子にとって都合の良い乗り物が壊れないためです。
あくまで遺伝子の生き残りが最優先事項、
つまり「遺伝子中心主義」なのです。
さて、ではコミュニティにおける遺伝子とは何かと言うと、
それが「理想の世界」です。
人間の体が各部位によって全然違った形質を発現するのに、
持っているDNAは全て同じである事と同様、
コミュニティのメンバーも、それぞれ全然違った事をしていても、
「目指すべき理想の世界という共通した”遺伝子”を持っている事」
こそが重要なのです。
そして、遺伝子を残すためには、
「遺伝子を(世界に)拡散していく」
必要があります。
遺伝子さえ拡散すれば、
色んな業界で、勝手に自分の遺伝子を持ったコミュニティができあがり、
自己複製されて、勝手に増えていきます。
自分の遺伝子を持った生命体(コミュニティ)が、
他の遺伝子を持った生命体(コミュニティ)と交配して、
新たなコミュニティが形成されます。
こうして、コミュニティとしての本分が全うされるのです。
人間以外の動物は、
物理という抽象度におけるDNAを残す事しか考える事ができないのですが、
人間は「抽象度」を高めるという事ができます。
抽象度を高めれば、コミュニティを自分の一部と見なす事ができます。
すると、そこで作られる遺伝子を拡散させる事が、
自分の(物理抽象度における)遺伝子にとっての本望を全うする事ができ、
その時、自分のエネルギーは最大限のパフォーマンスを発揮します。
さらに、「世界」という抽象度で、
それを1つの生命体と見る事ができれば、
世界を平和にする活動が、自分のエネルギーを上げる事に繋がります。
そんな学びを与えてくれる、猿の惑星ー新世紀ー。
是非、観に行ってみてください!
ではでは。