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終戦?負戦??

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こんにちは、新田です。

今日は「終戦記念日」ですね。


よく、歴史に詳しい人って、

「終戦じゃなくて、敗戦って言うべきだ!!」

って言ったりします。


これって、どういうことか・・・??


戦争で負けた国の中で、

“日本だけ”

がいつまでも諸外国に責任を問われている。


「ドイツ」なんて、
もう「ナチスドイツ(ヒトラー)」は過去のもので、
今は全くイメージが違いますよね。


どうして日本だけ、いつまで経っても、
戦争の時のイメージを引きづってしまうのか??


それは、「敗戦」って認めてないから。

「負けた」と認めないから、次に進めないんだ・・・!!

・・・というのが、
結構多くの歴史家が唱えることです。


これは、一理あります。

というか、本当にその通り。


日本は、きちんと「負け」を認めるべきです。

その時、初めて次に進めるのです。


そういう意味では、

「終戦」ではなく「敗戦」とするべき、

というのは正しいと言えます。



だけど、物事って常に、両面的です。


だから逆も言えます。


「敗戦」

ではなく、

「終戦」

としているからこそ、
そこに非常に重要な意味があるのです。


この日は決して、単に、

「はるか遠い昔、戦争が終わった日」

というだけではありません。


そうではなく、

“今日”が、まさに、

「終戦する日」

であり、それを記念する日なんだ、
という風に捉えることもできます。


僕らは、平和な世界に生まれて、
戦争なんて「過去のもの」と思っているかもしれません。


だけど、今もなお、世界中で
戦争は起こっています。


例えば、コロナショックは、

アメリカ vs 中国

の戦争です。


「情報」というミサイルを
撃ち合っているのです。


世界規模で見ても、
戦争は日々起こっていますが、

一方で、僕らの身の回りでも、
戦争は起こっています。


自分の身の回りの人との
些細(ささい)なことでのケンカ。


誰かに対する

怒り、悲しみ、恨み、嫉妬

などなど・・・


ちっちゃなことに思えるかもしれないけど、

でも、世界で起こっている戦争って、
そういう「些細なこと」から
始まっているのです。


だから、全く同じ。

歴史上で起こっているさまざまな戦争は、
全く同じことが、自分の日常でも
日々起こっているのです。


世界でも、日本でも、自分の中でも、

あらゆるところで起こっている全ての争い。


それを、

「終戦」

させるのが今日です。


というか、今日を、
そういう日にするからこそ、

「記念日」

と言えるんじゃないかと思うのです。


自分の中で起こっている戦争。


それは、

誰かに対して許せていない何かが
あるかもしれません。


あるいは、自分自身。


自分を許せていない。

自分の過去を許せていない。


それがずっと続いているから、

いつも苦しそうで、

いつも誰かに復讐するように生きていて、


わざと、生きづらい道を歩んでいる。


全て、許せていないからです。


こんな許せない自分が、
幸せになっていいはずがない。


こんな許せない自分が、
大事な人のそばにいていいはずがない。


だから、近づかないで!

関わらないで!

大事にしないで!!


本当の私を見ずに、

偽物の私を見て!!


そんなことを思っている人も
いるかもしれません。


そうやって、
自分に言い聞かせて、
閉じこもっていって、
世界を狭くしていく。


そんな「戦争」を、

“終わらせる日”

が今日なのです。


過去の終戦を記念するのではなく、

“今日”が、記念日です。


もし今日、自分の中での戦争を1つ終わらせることができたら、

今後、ずっとできる。


毎日が終戦日になる。


そのスタートを記念する日、
と捉えることができたら、


「敗戦」ではなく「終戦」と言っても、

案外、悪いものではないな、と思うわけです。


「今日だけ」で良いから、

ぜひ、何か、自分の中の戦争を1つ、
終わらせてみてください。


それでは、ありがとうございました。