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「権威」の源泉を見ていこう!

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こんばんは、新田です。

Next Tribeの新シリーズ「世界編」が、
来週にでも、スタートできそうです。

それにあたって、最近、
歴史に関してのコンテンツを
YouTube、メルマガを通して
配信しているわけですが・・・


今日は、世界の歴史を見ていく上で
非常に重要になってくる概念を1つ、
紹介したいなと思います。


これは、小名木先生も、
特に重要視している概念で、
先日も、小名木先生にインタビューさせて頂いた際、
今回の話を教えてもらいました。


それが・・・

「権威」



「権力」

についてです。


実は、この2つの概念は、
非常に奥が深く、
歴史だけでなく、ビジネスにおいても
とても大事な考え方だなと感じます。


そして、以前、世界史は、

・ヨーロッパ

・中東

・インド

・中国

・日本

の5つを見ていこう!

という話をしましたが、

この中でも、特に「ヨーロッパの歴史」に関しては、

「権威と権力の違い」

が分かっていなければ、
本質的に理解することができません。


なので、今回は、

「ヨーロッパの歴史を攻略するためのヒント」

という意味も含めて、

「権威」

「権力」

この違いについて、
深めていけたらと思います!


さて。


まず、この2つについて、
きちんと定義していきます。


「権威」とは、何か??

権威とは、

=正義

です。


ちょっと分かりやすく、

「学校」

で考えてみましょう。


学校においては、
生徒よりも、先生の方が「権威」があります。

つまり、生徒が言うことよりも、
先生が言うことの方が、
基本的には「正しい(正義)」とされるのです。


でも、先生よりも、
校長先生の方が、当然「権威」があります。


だから、例えば、ある生徒(Aくん)が、
授業をサボって、どこかに行っていたとします。


担任の先生が、A君に、

「なんで授業に出ないんだ!!」

って怒った時、A君が、

「だって、校長先生に頼まれて、これをしてたんだ」

って言うと、どうでしょう?


A君のやったことは、
学校においてもっとも権威がある、

「校長先生」

の意思に従って、行動したことになります。


なので、いくら担任の先生が怒ったとしても、
A君の行動は、「正しかった」ことになります。


逆に、「権力」とは、

「(物理的な)チカラ」

のことです。


例えば、東京卍リベンジャーズのマイキー君が
授業中にタケミチを外に連れ出そうとしたら、

いくら担任の先生が

「おいおい、今は授業中だよ!」

と言ったとしても、通ってしまうのです。


それは、先生よりも、
マイキー君の方が「強いから(=権力があるから)」です。


でも、もし、マイキー君が、
校長先生から、

「君は強いから、この学校で喧嘩とか起こったら
 君が対処してね。」

って言われていたとします。


すると、マイキー君は、
校長先生の意思の元に動いていて、

彼の「権力」は、「権威」によって裏付けされているから、
学校内における彼の行動には「正当性」も生まれてくることになります。


このように、「権威」と「権力」は別なのです。

「力がある」ことと、
その行いが「正しい」かどうかは、
全く別だということです。


「権威」と「権力」についての基本概念は、
大体イメージできましたでしょうか??


さて、では、次に、

「権威」



「権力」

に関して、

「それぞれの “根源” となるもの」

を見ていきましょう。


なぜ、「権威」が生まれるのか??

なぜ、「権力」を持つことができるのか??

そんな話です。

なぜこれを考えるのか?というと、
国をまとめるだけの「権威」や「権力」を持とうと思ったら、
それらの源泉を考えることが必要だからです。



さて、ではまず、
「権威」の根源となるものは、
一体何でしょうか・・・?


それは、

「神(の意思)」

です。


つまり、究極的には、

「その行動、発言が、神の意思によるものなのであれば、
 それは正しいこと」

ということになるです。


僕らは日々、様々な行動を取ります。

それが、正しかったのかどうかは、
後になってみて、初めて分かることです。


例えば、映画とかでよくあるのですが、
モブキャラが、何か失敗をしてまって、
皆から怒られるんだけど、

実は、その失敗のおかげで、
皆を助けていた・・・!

なんてことがあったりしますよね。


それをした瞬間は、「正しくない」と皆から判断されていたけど、
後から「実は正しかった」と分かるのです。


これを、

「神がかってた」

と呼ぶのです。


自分の意思に反して、
長期的な目線で見た時に
多くの人を助ける行いをしている、


つまり、

「(知らず知らずに)神の意思に従って動いていた」

ということになるのです。


「自分がやりたいこと」

と、

「神の意思」

は、また別モノです。


だけど、これが一致していたら、

「自分のやりたいことをやっていたら、
 多くの人を助ける(幸せにする)ことができる」

ということになります。


例えば、漫画「ONE PIECE」の主人公は、

「海賊王になりたい!!」

と言っています。


これは、あくまで、彼の個人的な願望なのです。

しかし、実際のところ、
彼が海賊王を目指すことで、
結果的に、多くの人を救っていることになり、
世界を良い方向に変えることになります。


もちろん、その結果、
罪のない人間(海軍とか)の命が
奪われることもあります。


でも、大局的に見た時に、
彼の行動は、「正義」かのように見えます。

だから、ファンは、ファンでい続けるのです。


もし彼が、何の理由もなく、
罪のない一般人から略奪をし始めたら、
彼の行動に正当性が保たれなくなるわけです。


つまり、

「神の意思に沿っていない」

ということになってしまいます。


このように、自分の行動の背景に、

「神(天)の意思が含まれているか??」

ということは、ストーリー作りにおいて
非常に重要になるわけです。


これはつまり、

「その行動によって、いかに多くの人が幸せになるか?
 どれだけ世の中が良くなるか??」

ということです。


歴史(History)とはStoryなわけですから、
その主人公の行為が、

「いかに正当なものであるか?(神の意思に沿っているか?)」

を伝える必要があります。


そう言えば、孔子は、

「70歳にして、己の欲するところに従えども、
 矩(のり)を踰(こ)えず」

と言いました。


これはつまり、

「70歳になって、自分のしたいことをしても、
それが神(天)の意思に沿ったものとなった」

という意味です。

あの孔子でさえ、70にしてようやく、なのですね〜。


もし、神の意思に沿わずに、
自分のしたいことをやったとしたら、
一時的にはそれで良かったとしても、
後で必ずしっぺ返しを食らいます。


例えば、ビジネスをやって、
1億円を稼いだとします。

自分は良かれと思ってやったし、
それによって、多くの人が喜んでいたとしても、

「それが神の意思に反していた」

のであれば、そこで得た1億円は、
何らかの形で失うことになるのです。

(まぁ、本当に正しいかどうかは、後になってみないと分からないのですが・・・。)


さて・・・

では、

「歴史」

に話を戻します。


世界において、

「権威がある」

と人々に認識される基準は、
一体何でしょうか・・・??


これは一言で言うなら、

「古いこと」

です。


「古くからずっと続いているもの」

は、歴史の淘汰を生き残ったわけですから、

「神の意思に沿っていた」

ことになるのです。


さて、では、

「今、世界でもっとも権威があるのは誰か??」

というと、それは紛れもなく、

「日本の天皇」

なのです。


日本の天皇は、世界でもっとも古くから続いているものなので、
ローマ法王や、エリザベス王などよりも、

「権威がある」

ことになります。

当然、アメリカの大統領なんかとは
比べ物になりません。


しかも、古事記や日本書紀によると、
日本の天皇は、

「天照大御神の子孫」

という設定になっています。


つまり、

「神々の末裔として存在している」

とすることで、
より「権威性」が担保されるのです。

(日本人の中で、もっとも神に近い存在なわけです。)


そして、日本というシステムは、

「権威」



「権力」

が分かれています。


天皇は、権威はあるけど、
権力は持っていません。


逆に、権力は、

「幕府」

だったり、

「総理大臣」

だったり、

その時代において、政治のトップとなる人が
持っていることになります。


「権威」

の源泉が、

「神の意思」

だとすれば、

「権力」

の源泉は、

「お金・情報・軍事力(人)」

になるわけです。


そしてさらに、前回の話で言うと、
「お金」の価値の源泉は、

「ゴールド(金)」

になるわけです。


世界を裏で動かしている人たち(ディープステート)は、

「権力」

を欲しているので、
一生懸命、ゴールドを世界中から集めているわけですね。


なので、歴史を学ぶ際には、

「ゴールド(金)の流れ」

を見ていく(補助線となるストーリーにする)と面白いですよ、
というのが前回解説したことでした。


さて、日本の場合、

「権威」



「権力」

が分離していて、さらに、

「権力は、権威によって与えられる」

という構造になっています。


つまり、天皇によって認められた人が、
権力を持つわけです。


そうすることで、

権力を持つ人にも、
ある程度、「行為の正当性」が
担保されるわけです。


ただ、それは100%ではないので、
たまに、他の「チカラ」ある人間によって、
奪われたりするわけです。


権力は、「チカラ」の世界になるので、

「チカラこそが全て」

という価値観なのです。


これを、別の例で見ていくと、

例えば、漫画「鬼滅の刃」で言えば、

鬼たちは「権力」によって、
ピラミッド構造を作っていることになります。


一方で、人間たちのトップは「オヤカタ様」ですが、
オヤカタ様は、「権力」を持たず、
あくまで「権威」として存在しているのです。


「権威」であるオヤカタ様がいるおかげで、

「権力」を持つ「柱」たちの

「行為の正当性」

が担保されているわけです。


つまり、

「自分たちのやっていることは、正義である」

と確信することができ、
人類は、一丸となって、鬼に立ち向かうことができたのです。


逆に、鬼たちは、
あくまで「力」「支配」によって繋がっていて、
自分たちの行為が「正しい(神の意思に沿っている)」とは思っていません。


だから、チームで戦うことができないし、
いざとなったら平気で逃げるのです。
(結果、人類には勝てなかったわけです。)


さて、長い前置きでしたが、

いよいよ「ヨーロッパの歴史」の話に
ウツっていきましょう。


ヨーロッパの歴史で、
ややこしいトコロがあります。


それが、

「権威」



「権力」

の構造が曖昧で、分かりづらい、
ということです。


というのも・・・

ヨーロッパにおいて、
「権威」として存在しているのが

「ローマ教皇(ローマ法王)」

です。
(法王というのは日本の表記で、
向こうでは「教皇」と呼ばれています。)


そして、ローマ教皇の権威の根源は、

「キリスト教における神」

なのです。


なので、今でも、
カトリックの国においては、
その国の王になるためには
ローマ教皇によって認められなければいけません。


ローマ教皇に「王」として認められることで、
その王の行動が、

「(キリスト教の)神の意思に沿っている」

ことになるわけです。


これだけ見ると、ローマ教皇と日本の天皇って
同じような存在に思えるかもしれません。


しかし、大きく違うところがあって、
ローマ教皇は、権威でありながら、

「権力も持ってしまう」

ということが、歴史上起こったのです。


つまり、金や軍事力を持ってしまったのです。


そうなると、ヨーロッパにおいて、

「権力が、2つできてしまう」

ことになるのです。


つまり、国のトップ(王)としての権力と、
“宗教上の”権力です。


すると、どうでしょう・・・??

本来、権力とは、

「権威(神の代理人としての存在)によって授けられる」

ものだったのに、
ローマ教皇が権力を持ってしまうと、

「権力が、権力を授ける」

という構図になってしまうのです。


こうなった時に、何が問題か??と言うと、

「権力は、力によって奪うことができる」

のです。


すると、どうなるか・・・?と言うと、

「権力を持つと、それを奪おうとする者が現れる」

という法則があるのです。


これは、非常に重要な法則です。


逆に、「権威」は、奪われないのです。

「奪う」という行為そのものが、
「権威」と矛盾するからです。


だから、天皇は、
その地位を脅かされません。

権力を一切持たないからです。


しかし、もし「権威」が「権力」を持つと、
その「権力」を奪われた時に、
「権威」まで同時に失墜してしまうのです。


例えば、ヨーロッパの歴史で、

「十字軍」

というのが出てきます。


これは、キリスト教勢力が、
イスラム教の国に遠征軍を送り込んだものなのですが、

その後ろ盾となっていたもの(行為の正当性を担保していたもの)が、
「カトリック教会」であり「ローマ教皇」でした。


つまり、十字軍は、

「(キリスト教の)神が味方についてるから、自分たちは正しいんだ!」

と言って、行為を正当化したわけです。


しかし、当然、これで負けてしまったら、

「間違ってた」

ことになるので、

裏付けとなっていた「権威」が
疑われてしまうのです。


つまり、

「あれ?ローマ教皇って、神の代理人じゃないんじゃね??」

ってなるのです。


結局、十字軍は失敗したことで、
ローマ教皇の権威は失墜し、
その後、ローマ教皇は、フランス王に
屈服させられてしまうことになるのです。


本来、権威が権力に屈服するなんて
あり得ないことです。

ローマ教皇は神の代理人であり、
それを屈服されるなんて、神罰ものです。

だけど、権威が失墜しているので、
そういうことも起こるのです。


このように、

「権威」

として存在するからには、
その権威が失墜しないように
努力しなければいけません。


ディズニーランドのミッキーマウスは、
たとえ地震がきても、
自分の身よりも、皆の安全を第一に考えて
動かなければいけないし、
何があっても、着ぐるみを脱いではいけないのです。

それが、ディズニーランドの「権威」を
保つために必須なのです。


これは、ビジネスにおいても、
非常に重要な考え方です。


僕らが、ビジネスをする際に、例えば、

「実績」

「能力」

「媒体力」

「チャンネル登録数」

などで信頼を作り、人を集めたとしても、
それは「権力」で集めていることになります。


先ほどの原理で、

「権力を持つと、奪おうとする者が現れる」

のです。


つまり、自分よりももっと結果を出している人、
もっと能力がある人が現れたら、
お客さんはそっちに流れていきます。


だから、

「権威」

を作ることが必要なのです。


そのためには、色んな方法があります。


例えば、

「権威性の高い人から、命(めい)を受けて活動していることを示す」

か、あるいは、

「自分の目指す理想の世界が、いかに世の中全体にとってプラスであるかを伝える」
(=いかに神の意思に沿った活動なのか)

か、または、

「生き様で見せていく」

など。


このように、

「権威」



「権力」

という考え方は、

歴史を見る上でも、
ビジネスでも、
非常に重要になってくる概念です。


「権力」があれば、
どんどん国を広げることができ、
繁栄させることができます。


しかし、いくら繁栄したとしても、
集まった人々をまとめる(安定させる)ためには
「権威」が必要です。


日本においては、
「天皇」が「権威」であり続けていることが、
何よりの幸いです。

日本人は、首相の悪口は言い放題ですが、
天皇の悪口を言う人は(ほぼ)いません。


それはやはり、天皇の権威に対して
畏(おそ)れ敬う心を、日本人が持っているからです。


だから、日本人は、根底において、
「強い繋がり」を感じているのです。


そして、今日の考え方が、

「コミュニティ」

を作る上で、非常に重要であることは
言うまでもありません。


この「権威」と「権力」を、
どのようにして作っていくか??


もっと言えば、


「自分のコミュニティの権威性を、
 何によって裏付けされるのか??」


これはぜひ、考えてみて欲しいなと思います。

(ネクトラ新シリーズでも、この辺をじっくり考えていきましょう!)


それでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました!