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さようなら福沢諭吉

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こんばんは、新田です。


ご存知かと思いますが、
今月から、「お金」がアップデートされました。


長きにわたって、

“日本で一番愛され続けた男”

に君臨していた福沢諭吉が、
その座を退くことになります。


「お金が変わる」ということは、
人々の価値観が変わるということです。

では、
「福沢諭吉」が「渋沢栄一」に変わることは、
何を象徴しているのか・・・?


今日は、そんな話をできたらなと。


簡単に言えば、

「学びて富みて、富みて学ぶ」(福沢諭吉)

から、

「論語とそろばん」(渋沢栄一)

に変わるということです。


僕は、

「学びて富みて、富みて学ぶ」

というのは、一理あるけど、
不完全だよなと思っていました。


確かに、学ぶことで、
その「知識」をマネタイズすることで
新たなお金を生み出すことができ、

お金があれば、
それを使って新たな学びが得られて、、

というサイクルを回していくことで、

頭の中にどんどん脳内資産を構築しながら、
それを使ってお金を稼ぎ続けることができるという
無限ループに入ることができます。


・・・けど、
結局、これって、

「お金を稼ぐ力」

がどんどん伸びていくけど、
そこに「人間的な成長」という視点が
抜けてしまうんですよね。


「お金を稼ぐこと」は、
本来、「心の成長」とセットでなければいけません。


つまり、

お金を稼げば稼ぐほど、

人を思いやれるようになり、

ご縁を大切にして、

志が目覚めていき、

より多くの人を導いていこうと燃える

そうなっていかないといけないのです。


それがセットであるなら、
どんどん稼げばいいと思ってるけど、

そうでないなら、

すなわち、お金を稼げば稼ぐほど、

保身に走るようになったり、

逆に、野心に火がついて
自分のことばかり考えるようになったり、

ストレスのかかる人間関係を切って
冷たい考え方になっていったり、

成長しようというモチベーションが下がったり、

ってなるのであれば、

その人は「お金を稼がない方が幸せだった」ことになります。


だからと言って、
「心の成長!」ばかり言って、
現実が何も変わらなかったら、それはそれで違う。


だから、

成長しながら、アウトプットして(人さまのお役に立って)、
その結果、お金を稼ぐ

・・・という、この循環が大事。


だから、「学びて富みて、富みて学ぶ」は
「ちょっと足りない」と感じます。


お金を稼ぐためにもっと学ぶ、のではなく、
人間的な成長のために学び、
それによって、徳を積み、
その結果、お金もついてくる。

だから、

「論語とそろばん」

つまり、

お金を稼げば稼ぐほど(そろばん)、
仁義礼智信がより高くなる(論語)

それによって、お金が自然と入ってくる


お金がたくさん入るほど、
より多くの人のために使うことができる(徳を積める)


こういう風に価値観がアップデートされる時代が
来たのです。


何のために学ぶのか?

お金を稼ぐ(富む)ためではなく、

より多くの徳を積むため。


徳を積んでいる人は、
勝手にお金も入ってくる。


だから、徳の方が大事。

徳を高めるために学ぶのです。


「学びて富みて、富みて学ぶ」

の「富む」に、「お金」だけでなく、
「心」も含めて、すなわち、

「心にゴールドを作る」

という意味が加わる感じでしょうか。


僕は、ビジネスのコンサルをやっていますが、

「稼ぐ能力」を高めるだけだったら、
そんなに難しくないんですけど、

それ以上に、

「いかに徳を積む働き方ができるか?」

こっちの方が大事で、

これをやるには、その人の意識を
まず変えなければいけないので、
結構タイヘンです。


でも、お金だけ稼げたとしても、
そこに「心の成長」が伴っていなければ、
その人は不幸になってしまいます。


だから、

「学びて富みて、富みて学ぶ」
→「論語とそろばん」

への価値観のアップデートが
重要になってきます。


ちなみに、渋沢栄一は、
妾を大量に作って、奥さんと一緒に住ませて
子供を(記録として残っているだけで)17人、
残ってない子も入れたらおそらく50人以上
いたとされています。


そこ(女性関係)だけは、許して!
それ以外は、悪いことしてないから!!

と主張する渋沢栄一。

だから、「論語」を選んだのかもしれません。
(論語には、女性関係に関する戒めは書いてなかったから。)


それでは、今日はこの辺で。


ありがとうございました!