こんばんは、新田です。
僕は、コロナが発生した当初から、
「これから世界は、リアルバイオハザードのような世界になる」
という話をしてきました。
これは決して、コロナが蔓延して、
パンデミックが起こって・・・みたいな話をしたいわけではありません。
むしろ、世間の風潮が
「コロナって、(日本においては)そんな大した脅威じゃなかったんじゃね?」
という感じに、傾いてきてますね。
今も毎日感染者は増えていますが、
実は、ここ2ヶ月くらいは、重傷者はほとんどいません。
感染者が増えているのは、
純粋に、検査数を増やしているからです。
ホストクラブなどで検査することで、
感染者が一気に増えることがある、というだけで、
ホストとかキャバ嬢が感染しても、
若いから「ちょっと風邪ひいた程度」の症状しか出ないのです。
もちろん、年末に第二波とかが来たら、その時は分かりませんが、
現時点では、未だに日本は、
「例年のインフルエンザの方が被害が大きかった」
という状態なのです。
なので、コロナの脅威についてではなく、
それよりも、今回のコロナで改めて、
「集合的無意識の力(恐ろしさ)」
を、再認識させられたな、という話をこれまでしてきました。
集合的無意識については、
去年ネクトラでもずっとテーマにしてきたことであり、
今入ったら去年のコンテンツも見れるので、またぜひ見ておいて欲しいのですが、
簡単に言うと、集合的無意識とは、
人々(の多く)が普遍的に無意識領域に持つ思考のことです。
そして、これは「ウィルスと非常に似た性質」を持っています。
情報に対して免疫が低い人は、
この「集合的無意識」というウィルスに簡単に感染し、
脳がハッキングされてしまいます。
ハッキングされるとどうなるか?というと、
その人たちは、集団で、まるで1つの意識を持っているかのように
行動するようになるのです。
これは、人間だけではありません。
例えば、鳥や魚は、
誰かが指示しているわけでもないのに、
まるで「全体で1つの生命体」であるかのように、
全員が統率され、美しい動きをします。
彼らは、1匹1匹の意識よりも、
「集合意識」
の影響の方が優先されて動いているのです。
集合的無意識というのは、
一般的には、そんなに悪いものとしては扱われないのですが、
危険な側面も大きいのです。
例えば、集合的無意識にあるストーリーの1つに、
「シンデレラストーリー」
があります。
これに関しては、僕は8年前くらいから、
何度も話題にしてきたもので、明確に、
「有害なものである」
と解説しています。
当然、それを象徴とするディズニーランドは、
ある意味、危険な場所でもあります。
(それでも、僕はディズニーランドは嫌いじゃないんですけど。)
何が危険なのか?というと、
シンデレラストーリーというのは、
「あまりに可哀想な人間は、いつか助けられて成功する」
というマインドが埋め込まれてしまうのです。
このストーリーがインストールされてしまうと、人は、
「自分はいかに可哀想か?」
ということを必死にアピールしようとして、
さらには、わざと「可哀想」とまわりが思う状況を
作り出してしまうのです。
「ほーら、自分はこんなに不幸なんですよ!!ね??ね??」
と必死にアピールして、
なのに、
白馬に乗った王子様も、
魔法使いのおばあさんも、
一向に現れないのです。
すると、
「そうか、まだ可哀想レベルが足りないんだ」
と思って、
より不幸に、不幸になろうとします。
そして、
「幸せ恐怖症」
という非常に厄介な病が誕生します。
幸せになりそうになったら、
謎の防衛本能が働き、
自らその幸せを放棄する方向に
動いてしまうのです。
時々、
すごく性格が良くて、
まわりの人たちのために一生懸命頑張っているのに、
いつまで経っても報われず、
ずっと不幸な人がいます。
そういう人は、たいてい、
「自己犠牲的」なのです。
まわりの人のために、と、
自らを犠牲にして、不幸にするのです。
本来、まわりの人も幸せになって、
同時に、自分も幸せになっていくのが、
正しい道です。
まわりが幸せになるために、
自らを犠牲にして、不幸にしていったら、
それでまわりの人が幸せになった時に、
最終的にそれを取り返そうとしてしまいます。
結果、人は離れ、ますます不幸になるのです。
(その典型的な例が、「親子関係」に起こります。
自分が不幸になって子が幸せになった時、
子供の幸せを奪おうと無意識に行動してしまうのです。)
集合的無意識というのは、
「みんなと同じが素晴らしい」
「抜けがけは許されない」
「可哀想な人ほど救済されるべき」
という思考が根底にあります。
2ちゃんねる(今は名前が変わって5ちゃんねる)は、
集合的無意識の代表と言えるでしょう。
成功して良い暮らしをしている人は徹底的に叩いて落とそうとする。
だけど、あまりに可哀想な人は、
皆で助けて感動物語にしようとする。(例:電車男、ビカスさん)
そういう巨大な生命体です。
特に、悪い性質が出ると、ゾンビのようになります。
ゾンビというのは、1匹1匹は、そんなに強くありません。
武器を持っていたら、人間は勝てるのです。
しかし、集合体になった時に厄介なのです。
単純ゆえに、
全員がまるで統率されたかのような動きをするので、
数の力で勝ってしまいます。
誤解を恐れずに言えば、
「バカの方が強い」
のです。
分かりやすいのがAmazonレビューです。
大衆受けするようにデザインされた本の方が、
評価が高くなります。
逆に、大衆受けしない本は、
ほとんどの人が低い評価をします。
しかも、それが、
「すごく真っ当なことを言ってるように見える」
のです。
大衆は、「数の力」を持つため、
大多数の意見=正しいことを言っている、
と確信を持っているのです。
そして、それに反する意見を持った人は、
無条件に「悪」というラベルが貼られます。
この「同調圧力(ホメオスタシス)」によって、
ウィルスはばらまかれて、
人々は次々と集合的無意識に感染し、
さらに強大となってしまいました。
感染すると、人は「大衆」という巨大な生命体の一部となり、
「大衆」の手足となって行動します。
特に、SNSとYouTubeの登場によって、
集合的無意識は、より力を増したのです。
以前は、テレビや新聞など、
情報がある程度、統率されていたので、
集合的無意識も、ある程度コントロールされ、
悪用もされつつも、そこまで力が大きくならないよう、
制御されてきました。
しかし、今や、人は情報をSNSかYouTubeで得るようになったため、
誰かが全体を統率するのが、非常に難しくなったのです。
そうなった時に、集合的無意識は、大変です。
人類全員 vs ゾンビ全員
だったら、人類に勝ち目はあります。
しかし、
ゾンビ全員が統率が取れていて、
人類がバラバラに散らばっていた場合、
ゾンビは圧倒的に有利になってしまいます。
つまり、次々と人類を吸収して、
大きくなっていってしまうわけです。
最近でいうと、
「集合的無意識」による「同調圧力」の代表が、
「自粛警察」です。
彼らは、本気で、それを「正義」だと確信してやっているのです。
だから、それを責めたってしょうがないし、
大衆を敵に回したって、良いことはありません。
人類が皆、
「世の中がもっと良くなってほしい」
と願いつつ、世の中がいつまで経っても良くならないのは、
この世界が「多数決」で成り立っているからです。
どんなに徳の高い聖人も、
大富豪も、引きこもりニートも、
「多数決」の世界では、同じ「1票」なのです。
だから、政治の世界では、
大衆が勝ってしまうわけですね。
頭の良い人は、皆、
「1人の徳の高い人間が、独裁した方が良い」
と言います。
例えば、孔子は「徳治主義」が大事だと言ったし、
プラトンは「哲人政治」が大事だと言いました。
国という単位で見ると、なかなかその実現は難しいのですが、
「コミュニティ」においては、そうあるべきです。
今の時代、やっかいなことに、
「悪い奴、姑息な奴ほど、集合的無意識のパワーを使いやすくなってしまった」
のです。
綺麗事を並べて、大衆を味方につけて、
集合的無意識のパワー(=数の力)を使うことで、
自分の正義を主張する、という論法が使えるのです。
じゃあ、集合的無意識はネガティブなものであり、敵なのか??
・・・となった時に、
これからの時代は、そうではない、
というのが2020年で伝えたいことです。
どういうことかというと、
「集合的無意識を、使役(しえき)しよう!」
というのが、今年のテーマの1つです。
「使役」とは、「支配」ではありません。
支配せず、その力を借りることは可能なのです。
例えば、今回ネクトラでテーマにしている、
・安倍晴明(陰陽師)
・役小角(えんのおずぬ)
などは、
「式神を使った」
「鬼を使役した」
などと言われています。
歴史の教科書に出てくるような人なのに、
調べても何をしているのかよく分からないですよね。
「鬼を使役」するってどういう感覚なのか・・・?
そもそも鬼って何??みたいな。
僕が小学生の頃、
「地獄先生ぬ〜べ〜」
っていう漫画(アニメ)が流行ったのですが、
主人公が鬼を左手に封印して、
鬼の力を使うことができていました。
そして、最終的に、その鬼と仲良くなったのです。
別に、主人公は鬼よりも強くなったわけではないのに、
鬼が協力して、力を貸してくれるようになりました。
これは、「使役していた」ことになります。
最近の漫画でいうと、NARUTOなんかもそうです。
あれは、主人公の中に「九尾の狐」が封印され、
そのパワーを使っていたのですが、
最終的には、九尾と和解し、そのパワーを最大限使うことができていました。
これも、「使役した」ことになります。
歴史に出てくる「鬼」というものは、
実体のある存在ではなく、
象徴として描かれているものだったり、
情報体として存在するものと考えたら良いでしょう。
「大衆」と同じです。
大衆というのも、別に「大衆」という生き物がいるわけではなく、
人々が統率された1つの生命体のような動きをしていて、
それを「大衆」と定義しているのです。
そういった、抽象的な存在を、どう動かしていくのか??
というのが、今年のテーマです。
つまり、式神の使い方、鬼の使役の仕方を学ぶということは、
「大衆を、どうやって味方につけるか?」
「ネガティブなエネルギーを、どうやってプラスに活用するか?」
ということに繋がってくるのです。
集合的無意識のパワーをいかに「活用する」か?
というのは、今年、ぜひ身につけて欲しい感覚です。
そもそも、集合的無意識って何??
大衆って何??
みたいなことから、解説していきます。
目指すのは、集合的無意識ではないストーリーです。
Next Tribe 2020では、それを半年かけて、
じっくり作っていきましょう。
来週には、プレセミナー(第0回)がはじまります。
楽しみにしててください!
それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました。