鬼滅の刃から学ぶシリーズPart5〜鬼と光〜

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こんばんは、新田です。

今日も鬼滅の刃シリーズの続きです!

鬼滅の刃から学ぶシリーズPart4

いよいよ”明日”、
Next Dimensionの
新シリーズがスタートします。

今年いっぱい続けるつもりなので、
「2020年に、もっとも力を入れる講座」
になります。


すでに先行募集の段階で
3日で100名近い方が参加して下さっていますが、
これまでとは、スタイルも、雰囲気も、内容も、
ガラリと変わります。


ここ1ヶ月の間、
「ワンピースの時代から鬼滅の刃の時代へ」
をテーマにして、多くのことをお伝えさせて頂きました。
(過去の記事は、またブログにバックナンバーを載せているので、
何度も読み込んでおいて欲しいです。
ほんっとうに重要なことばかり書いています。)


漫画の変遷をたどってみると、
「進撃の巨人」の頃から、
ある兆候が見られました。


それが、
「仲間だった人が、敵になってしまう可能性がある」
ということです。


これは、ドラゴンボールやワンピースでは、
あり得ない話でした。


進撃の巨人は、人間の中に実は巨人がいる。

というか人間も巨人になってしまう。

鬼滅の刃も、人間が鬼になってしまう。


善悪二元論ではなく、
もともと良い人だったのに、
鬼になってしまったりするのです。

進撃の巨人でも、敵は敵で、
それなりの正義があったりします。

正義というのは、見る角度によって、変わるものなんですね。


鬼からしたら、人間は「食料」です。

人間が牛や豚を食べる感覚で、
鬼は人間を食べて、そこに感情はありません。

鬼は、人類を滅ぼそうとはしません。
餌が無くなったら困るので、
適度にバランスを保ちながら、
ある意味での(鬼にとって都合の良い)共存を図ろうとしています。

一方で、人間は鬼を滅ぼそうとしています。
まぁ当然、人間側からしたら、鬼は「敵」なので、
必死に鬼と戦い、殲滅させようとします。


鬼のボスである「鬼舞辻無惨」は、

「私に殺されるのは災害に遭ったのと同じだと思え。

何も難しく考える必要はない。

雨が、風が、山の噴火が、大地の揺れが、
どれだけ人を殺そうとも、
天変地異に復讐しようという者はいないだろう。」

と考えます。


1000年生きた「人類よりも進化した存在」なので、
彼にとっての人間は、人間にとっての魚や牛なのです。


ちなみに、ドラゴンボール超では、
「破壊神ビルス」
というキャラが出てきます。


彼は、界王神とかよりもさらに上の位の神様で、

「星を破壊する”資格”が与えられた神」

なのです。


悟空はそれを聞いて、

「星を破壊するのか?!じゃあ、悪いヤツなんか??」

と界王神に聞くと、

「いや、一概にそうとも言えないんじゃ。」

と言われます。


破壊があるから創造があり、
それによって宇宙のバランスが保たれます。

その「破壊する星」を決めることが、許されているのです。


これは、言い分としては、「鬼舞辻無惨」とほぼ同じロジックです。

でも、ビルスの場合、
明確に「破壊神」として、
つまり「神」としての役割を与えられているので
星を自由に破壊する”権利”があるのです。


彼が星を破壊する理由は「気まぐれ」です。
そこに理由なんてありません。

でも、神にとっての気まぐれは、
人間が計り知れない何かが含まれています。


人間からしたら、
「なんでこんな酷い目に遭わされなければいけないんだ!」
と思うことは、もっと広い視点で見たら、
その人が最高の人生を送るために必要なことだったりするのです。


ビルスにとって、最初は地球も破壊の対象だったのですが、
最終的には悟空と仲良くなって、
味方みたいになりました。

当然、ビルスはこれからも色んな星を破壊するし、
機嫌を損ねたら、地球も破壊されかねませんが、
今のところ、悟空たちにとっては「敵」ではなくなり、
うまく「共生」するようになりました。


「鬼舞辻無惨」は、残念ながら、
共生する方向にはいきませんでした。

それは、彼の中にあるのが、ただ、
「自分が生き残りたい」
だけだからです。

彼は、他の漫画のボスと違って、
何の志も正義も理念もありません。

ひたすら「小物臭」が漂っていて、
なのに、めちゃめちゃ強いです。


これは単に、
「1000年生きた」ことによる、
「蓄積」によるものです。


僕は、「鬼滅の刃」において、

鬼:昭和どっぷりの世代の象徴

主人公たち:平成世代の象徴

という風に表現しました。


この視点で見ると、
あの物語は非常に深いものに見えます。


鬼たちが最終的に求めているものは「絆」です。

鬼たちは、鬼舞辻無惨の血を分けてもらうことで、
強くなるのです。


つまり、「血族」としての繋がりを求めます。

これは言い換えたら、
「形ある繋がり」
「形ある仲間」
です。


ワンピースも、「形」を結構大事にします。

「オレの船に乗る仲間」

なのです。


鬼滅の刃における「鬼」たちも、
「血を沢山分けてもらいたい」
だったり、あるいは、
「兄弟が欲しい」とかだったりします。


しかし、そこに「形」を求めます。

その結果、例えば、
「支配」
によって、絆を作ろうとします。


でも、最終的に、主人公に倒されれ、
死ぬ直前に、「本当の絆」とは何か?に、
気付かされるのです。

そうか、形にこどわる必要はなかったのだと・・・


逆に、主人公たちは、
「仲間意識」
みたいなものはそこまでありません。

「鬼殺隊」
というグループはありますが、
仲間という感覚はほとんど皆無ですし、
ものすごく個人プレイをしそうな、個性的なキャラばかりです。


なのに、最終決戦において、
「全員で、最強のチームプレイができている」
というのが素晴らしい

・・・ってことを、以前書かせて頂きました。


彼らは、仲間意識は薄くても、
もっとも深いところで繋がっているから、
常に、その瞬間瞬間において、
「最高のチームプレイ」を発揮し、
全体で勝っていくのです。

まさに、次世代のコミュニティの形だなと感じます。


ドラゴンボール、ワンピースは、
突き詰めたら「個の力」の世界なので、
そこは、大きく違う点だなと思いますし、
(まぁドラゴンボールは「元気玉」というのは使いますがw)

これからの時代、「個」の力よりも、
「コレクティブ・マーケット全体のエネルギー」
が重要になってくるのです。


少し別の見方をすれば、
「鬼」というのは、

「人の心に住む闇」

の象徴です。


だから、ねずこは、鬼になったけど、
正気を保っていられました。

彼女は、とことんピュアで、
そして主人公(炭治郎)との「強い絆」を持っていたので、
闇に取り込まれなかったのです。


闇に取り込まれるのは「恐怖」や「疑い」の心です。

主人公は、ねずこが鬼になっても、
一切疑いを持たなかった。

ひたすら「鬼になんてなるな!」と訴えかけ、
絶対に妹を助けるんだ、と100%フルコミットしていました。

その主人公の「光」によって、
ねずこの闇は消え去ったのです。


闇が大きくなるほど、
「支配したい」
「自分がもっと上にいきたい」
が強くなります。

しかし、どれだけ闇が強くなろうと、
太陽の光を浴びると、一瞬で消滅してしまいます。


だから、鬼は「光」が怖いのです。

そして、太陽の光を浴びた鬼は、
死ぬ直前に「あたたかみ」を取り戻し、
涙を流しながら死んでいきます。


その時、主人公は「悲しい匂いがする」と表現します。
(この独特の表現が、良いですよね、この作品。)


闇は「力」になります。

ねずこが鬼になっていなかったら、
主人公はとっくに殺されていました。


キングダムの「羌カイ」も、
闇を使って戦います。

しかし、闇というのは、危険な側面があって、
取り扱い方を間違えると、闇に落ちてしまうのです。


羌カイは、光の糸と繋がることで、
闇の深いところに入っても、その闇に落ちることなく
闇をパワーに変えて、戦うことができました。

ねずこも、鬼の力を使いすぎると、闇に落ちかけてしまいますが、
その都度、主人公が助けています。


闇と光は、共存できるものなのです。

だから、闇を照らす、
「圧倒的な光」
が必要です。


鬼滅の刃が象徴しているように、
今、世界では「闇」が蔓延しています。


だから、もっと光を!!なのです。


光だけを見るのではなく、
闇も見て、光をあてる。

そんなコミュニティ、そんなビジネスを、
一緒に作っていきましょう。



鬼滅の刃シリーズはまだまだ続きます。

鬼滅の刃から学ぶシリーズPart6〜コロナに隠された暗号〜


ありがとうございました。

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